映画「風立ちぬ」に登場する戦前の結核治療。菜穂子が高原の療養所で屋外にベッドを並べて寝袋にくるまっているのはなぜ?


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風立ちぬ 年表 できごと 堀越二郎 堀辰雄 妻 菜穂子 矢野綾子 節子

風立ちぬ 年表 できごと 堀越二郎 堀辰雄 妻 菜穂子 矢野綾子 節子

スタジオジブリ・宮崎駿「風立ちぬ」の「年表」を作ってみました。

・左の欄 年(西暦・和暦)
・左から二番目の欄 ジブリ映画「風立ちぬ」の主人公・二郎の年表
・左から三番目の欄 現実のゼロ戦設計者・堀越二郎の年表(左とダブるものは省略)
・一番右の欄 世界と日本のできごと
西暦(和暦)映画の「二郎」現実の堀越二郎堀辰雄歴史(世界・日本)

1903年
(明治36年)

 群馬県藤岡市に生まれる  
1904年
(明治37年)
  東京都に生まれる日露戦争はじまる
1914年
(大正3年)
   第一次世界大戦はじまる
1916年
(大正5年)
夢の中で自作飛行機で飛び回る
夢の中でカプローニと出会う
   
1917年
(大正6年)
 藤岡中学校 入学東京府立第三中学校 入学 
1921年
(大正10年)
 第一高等学校(現東京大学一・二年に相当)理科甲類 入学第一高等学校理科乙類 入学日英同盟破棄

1923年
(大正12年)

列車の中で里見菜穂子と出会う
関東大震災に遭遇
夢でカプローニ出現

 関東大震災で母を亡くす関東大震災
1924年
(大正13年)
 東京帝国大学工学部航空学科 入学  
1925年
(大正14年)
航空学科の引っ越し
お絹からお礼が届く妹の加代が上京
 東京帝国大学文学部国文科 入学

治安維持法が成立

1927年
(昭和2年)
三菱内燃機株式会社 入社東京帝国大学工学部航空学科 卒業芥川龍之介の氏にショックを受ける金融恐慌おこる
1928年
(昭和3年)
隼型戦闘機、テスト飛行失敗 重症の肋膜炎により休学 
1929年
(昭和4年)
ドイツ・ユンカース社を視察
再びカプローニ出現「君の10年を力を尽くせ」
研修のため翌年までドイツ、イギリス、アメリカへ東京帝国大学文学部国文科 卒業世界大恐慌はじまる
1931年
(昭和6年)
  富士見高原療養所に入院満州事変おこる
1932年
(昭和7年)
七試艦上戦闘機の設計主務者に
十三式艦上攻撃機で空母・鳳翔へ視
  五・一五事件おこる
1933年
(昭和8年)
七試艦上戦闘機、テスト飛行失敗
二郎、軽井沢へ里見菜穂子と再会
カストルプに出会う
二郎、菜穂子に求婚
本庄、八試特殊偵察機設計
菜穂子喀血、二郎、上京し見舞う
九試単座戦闘機の設計主務者に
 軽井沢で矢野綾子(小説「風立ちぬ」のモデル)と出会うドイツでナチス誕生日本が国際連盟を脱退
1934年
(昭和9年)
菜穂子、高原病院を抜け出して二郎のいる名古屋へ
黒川邸にて結婚式
 「美しい村」刊行矢野綾子と婚約 
1935年
(昭和10年)
加代、黒川邸を訪問
菜穂子、ひとりで黒川邸を去る(病院で死去)
九試単座戦闘機テスト飛行成功
 富士見高原病院に綾子と二人で入院
12月、綾子死去
 
1936年
(昭和11年)
 九六式艦上戦闘機制式採用「風立ちぬ」執筆開始二・二六事件おこる 
1937年
(昭和12年)〜1945年(昭和20年)
終戦直後、夢の中でカプローニ、菜穂子と再会十七試艦上戦闘機(烈風)主務者に終戦後、三菱重工業参事に加藤多恵と出会う(翌年結婚し生涯添い遂げる)
「風立ちぬ」刊行「菜穂子」刊行
支那事変始まる
第二次世界大戦はじまる
大東亜戦争はじまる
広島・長崎に原爆投下
日本敗戦
第二次世界大戦終結
1953年
(昭和28年)
  喀血のため死去(享年48歳)昭和27年に日本独立(沖縄除く)
1982年
(昭和57年)
死去(享年77歳)   




posted by トトロ at 23:00 | Comment(1) | 風立ちぬ 豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジブリ 風立ちぬ 二郎と菜穂子の結婚式(婚礼・家入の儀)で、黒川夫妻がのべる口上の内容・意味は?



ジブリ 風立ちぬ 二郎と菜穂子の結婚式(婚礼・家入の儀)で、黒川夫妻がのべる口上の内容・意味は?

名古屋で仕事をする二郎の元に、結核療養所から抜け出した菜穂子が訪れ、そのまま黒川邸で婚礼の儀(結婚式)を上げることになります。

その婚礼の儀に、何か寸劇のように介添人がお互いに口上を述べる場面があります。

これは尾張の風習だろうかと思ったんですが、この口上自体は宮崎駿監督が考えたオリジナルだそうです。しかし一般的な昔の婚礼の儀で、このように口上を述べる風習は、全国各地にあったようです。


では、その内容は以下です。

新婦と、灯りを持った介添人が廊下を進み、新郎と介添人の待つ部屋の正面でまず口上を述べる。
新婦の介添人「申す 七珍万宝投げ捨てて 身ひとつにて山を下りし みめうるわしき乙女なり いかーに」
中にいる新郎の介添人が応える。
新郎の介添人「申す 雨露しのぐ屋根もなく 鈍感愚物のオノコなり それでもよければお入りください」
新婦の介添人「いざ 夫婦の契り 常しなえ」灯りを吹き消し、障子を開けて、新郎の前に新婦をお披露目する。


七珍万宝(しっちんまんぽう)
全財産
身ひとつ
自分の体ひとつ(何も持たずに)
みめうるわしき
美しい(女性限定の表現)
雨露しのぐ屋根もなく
住むところもなく
鈍感愚物のオノコ
鈍感でノロマな男
夫婦の契り(めおとのちぎり)
夫婦の誓い
常しなえ
永遠に



今風の言い方に訳しますと
新婦の付添人「申し上げます。財産もすべて捨て、体ひとつで山を降りてきた美しい乙女がここにおります。入ってもよろしいですか?」新郎の付添人「雨露がしのげる家も持っておりません。ここにいるのは鈍感でノロマな男です。それでもよかったら、お入りください」新婦の付添人「それでは、夫婦の誓いが永遠に続くことを祈りつつ…」

こんな所でしょうか?





posted by トトロ at 18:04 | Comment(2) | 風立ちぬ 豆知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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